2016年10月25日火曜日

「ドーキー・アーカイヴ」とフォーマット

国書刊行会の「ドーキー・アーカイヴ」のサーバン『人形つくり』に挟まれていた若島正・横山茂雄対談を読んで、よくもこんなに知られていない作家の本のことを楽しそうに話すなあ、ロシアではどういう作家がこうしたラインナップの顔ぶれになるのだろうかと思った。ある程度、SFなどジャンル小説のフォーマットができていないと成り立たない顔ぶれである。この叢書の趣旨は、ジャンル小説のフォーマットがまずあって、作者はその枠で書いているんだけど、作家の個性のせいなのかなぜかはわからないが、知らないうちに枠からたくさんはみ出てしまう訳の分からない秘密の面白い作品がありますよということだと思うので。

ロシアの現代SFの出版状況を考えると、コンピューターゲームの設定を借りたシェアワールドものが氾濫していて、若手作家はそういうのに乗っかって書かなければならない。『メトロ2033』のグルホフスキイやパノフの"Тайный город"シリーズなど、元々はその作家のシリーズなのにシェアワールドものに発展したものもある。そうした状況の中で、フォーマットの中で好きなことをやっている作家もいるのだろうが、作品は素晴らしいのに"неформат"として、そもそも出版社にまったく相手にされない作家もいるので、まずはフォーマットでデビューするという流れをまだあまり肯定的にはとらえられないのである。

ソ連時代を振り返ると、スターリン時代には社会主義リアリズムというまさにフォーマットが権勢を振るっていた。フォーマットしかない時代においてはその中からとんでもない怪作が現れる。ロシアSFの「第2の波」と呼ばれる1940年代から50年代初頭の時代は特にそうである。ワジム・オホトニコフの短編"Ахтоматы писателя"も変だし、カザンツェフやネムツォフにもたいへんな作品があるらしい。そういうのを発掘していくのはまさに砂漠で砂を探すような作業で、よっぽどの好き物でないと務まらないだろう。いや、ほんと。

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