2016年5月7日土曜日

ロシアSFの英仏訳アンソロジー

 ソビエトSFが国際的に注目されたのは、1957年にイワン・エフレーモフが長編『アンドロメダ星雲』を発表し、それに刺激されてストルガツキイ兄弟たちが次々とデビューしたことによります。
 ソビエト政府系の出版社として«Издательство литературы на иностранных языках» (Иногиз)があり、ソビエト作家の作品を他の言語に訳して西側諸国で刊行するという公式ルートが存在しました。この出版社から出た英訳版には«Foreign Languages Publishing House»と記されています。1959年には『アンドロメダ星雲』の英訳版と仏訳版が刊行されました。他にもアレクセイ・トルストイの『技師ガーリンの双曲線』の仏訳版(1959年)、オブルーチェフの『サンニコフ島』の英訳版(1955年)、『プルトニヤ』の英訳版(1961年)、1962年のアンソロジー«Destination: Amaltheia»があります。最後のアンソロジーにはストルガツキイ兄弟の初期長編«Путь на Амальтею»(1960)のほか、ベリャーエフ、ジュラヴリョーワ、ドニェプロフらの作品が収められています。
この組織は1963年に改編され、以後はミール社、プログレス社として展開します。日本で刊行されたプログレス出版所の現代ソビエトSFシリーズはこの流れの中で出版されています。
このほか、1960年にアシモフの序文付きで刊行された英訳アンソロジー«The Heart of the Serpent»には、エフレーモフ「宇宙翔けるもの」、ストルガツキイ兄弟「六本のマッチ」、のほか、ドニェプロフ、サパーリン、ジュラヴリョーワの作品が収められています。このアンソロジーはタイトルを変えながらも、1962年、72年、2002年にも再刊されています。
1963年にイギリスで刊行された«Russian Science Fiction»にはドリス・ジョンソンの翻訳により、11の中短編が訳されました。こちらにもエフレーモフの「宇宙翔けるもの」は収録されていますが、作家の選定がかなり変わっていて、ツィオルコフスキイ、ベリャーエフ、ゼリコヴィチといった1930年代までの作家に加え、なんと、ワジム・オホトニコフの伝説的怪作«Автоматы писателя»(1947)も収録。主流作家ウラジーミル・ドゥジンツェフの短編が1本入り、他にはドニェプロフ、ジュラヴリョーワ、サパーリン、ミハイル・ワシリエフという顔ぶれ。
 1969年にNew York University PressUniversity of London Press Limitedからそれぞれ刊行された«Russian Science Fiction 1969»には、ブランジス&ドミトレフスキイの評論に、ドニェプロフ「カニが島をゆく」、ゴール「庭園」、シェフネル「内気な天才」、ワルシャフスキイ「深夜の強盗」のほか、ルコジャノフ&ヴォイスクンスキイやヴラドレン・バフノフの短編が収録されています。
 1970年代後半から80年代前半にかけてはマクミラン社がストルガツキイ兄弟の作品を続々と刊行するなどの動きがありました。日本で言うと深見弾さんがストルガツキイ兄弟の長編を次々と翻訳していく時期に当たり、国際的な連動を感じます。
さて、ロシアSFの紹介者としての私の悲願は、1970年代以降の中短編のアンソロジーを出すことです。これは深見さんもついにできなかった仕事ですが、ロシアSFの中短編の質量は相当に分厚いので出そうと思えば何冊でも出せます。問題は最初の一冊としてどういう作品を選ぶかという点です。
ひとつの参考として、モスクワのラドガ社が1989年に出版した«Tower of Birds»という英訳版のアンソロジーがあります。このアンソロジーには1970年代から80年代にかけて書かれた作品が収められており、収録作家もヴィクトル・コルパエフ、オリガ・ラリオーノワ、キール・ブルィチョフ、セルゲイ・ドルガリといった60年代から活躍するベテランのほか、ボリス・シテルン、ヴャチェスラフ・ルィバコフといったボリス・ストルガツキイのセミナー出身の新しい傾向の作家が収録されている点に見識の高さを感じます。ミハイル・プホフやアブラーモフ親子といった旧傾向の作家も入って、当時としては相当にバランスを重んじた編集となっています。全く無名の作家も何人か入っているのはご愛嬌ですが……。

 しかし、なんと言ってもこのアンソロジーの目玉は、表題作のオレグ・コラベリニコフの怪作中編«Башня птиц»です。以前に京フェスに参加した時に紹介したことがありますが、シベリアの奥地で火災に巻き込まれて道に迷った主人公が精霊の導きで鳥獣と交感できるようになり最後は科学文明を捨てるに至るというテーマもさることながら、ラストシーンで病に苦しむ自称銀河大元帥が登場するという衝撃のストーリー展開に仰天した記憶があります。ソビエト時代の非常に特色ある詩人であるニコライ・ザボロツキイの詩が冒頭に掲げられているのですが、コスミズムがザボロツキイを通過していったらこんなのができましたという印象です。この中編は質量の面から言っても1970年代から80年代の新しい作家を代表する作品という位置づけで、確かにその評価は間違ってはいないのですが、あまりにも独特すぎて他の作品の印象が消えてしまうという、まったく編者泣かせの作品です。いつか日本に翻訳紹介される日は来るのでしょうか……。