2016年10月23日日曜日

イリヤ・ワルシャフスキイ3巻選集

Престиж Бук社から、今年、イリヤ・ワルシャフスキイの3巻選集が刊行された。彼が亡くなったのは1974年だが、2010年になって未刊行の短編が見つかり、出版されてきた。
彼の作品を再発掘して出版したのは、イスラエルの出版社"Млечный Путь"(イスラエル在住のSF作家のパーヴェル・アムヌエリが主導)で、”Электронная совесть”というタイトルの作品集を2011年に刊行した。しかし、この作品集はプリントオンデマンド形式で刊行され、なおかつ、ロシアから見れば在外出版となるのであまり流通しなかったのである。

ワルシャフスキイは1908年生まれで、SFを書きだしたのは1960年代になってからと遅く、軽妙なユーモアと機智に富んだ短編を得意とし、日本にも多くの作品が翻訳された。『夕陽の国ドノマーガ』(大光社)という邦題で短編集が刊行されている。その前半生は日本ではあまりよく知られていないが、彼の妻ルエッラは、1920年から21年にかけて一時的に成立した極東共和国の大統領アレクサンドル・クラスノシチョコフの娘で、『極東共和国の夢』(未来社)を著した堀江則雄氏は晩年の彼女にインタビューをしている。しかし、同書では彼女の夫のことは触れられていない。後半生のことも聞かれているはずだが、惜しい……。ルエッラはオシップ・ブリークの家に同居していたことがあり、リーリャ・ブリークとマヤコフスキイとの複雑な関係も目の前で見ていた。その頃に、ルエッラはイリヤと出会い、結婚したのだが、独ソ戦のレニングラード包囲の際は、命からがらイリヤが脱出したもののソ連側から身元を疑われてアルタイに送られるなど、厳しい体験をしてきてこられた一家である。

1929年に彼がドミートリイ・ワルシャフスキイとニコライ・スレプニョフとともに発表した旅行記"Вокруг света без билета"が今回刊行された3巻選集には再録されており、これは貴重な再刊である。1974年にボリス・ストルガツキイがレニングラードでセミナーを開催し始めたが、彼はワルシャフスキイのセミナーを引き継いだような格好でもあるので、セミナー文化の先駆者的存在でもあった。ワルシャフスキイは1920年代にはフェクス(1921年から26年にかけてぺテルブルグで活動した前衛的演劇集団)に出入りしていたこともあるが、その後は船員を目指したり、工場勤めをしたりで過ごし、1962年にSF界にデビューするまで小説の筆はとらなかった。1920年代に小説を書いていて60年代にSFを書いた作家と言えば、他にはゲンナージイ・ゴール(邦訳に早川書房の「世界SF全集」に中編「クムビ」が収録された)がいるが、共に時代をつなぐ作家として大事な人だと思う。

ちなみに、イリヤとルエッラの息子のヴィクトル・ワルシャフスキイ(1933~2005)はサイバネティックスの研究者となり、1993年から2000年まで会津大学で教鞭をとられた方である。知らないことは多いが、世界はぐるぐる回っている。



0 件のコメント:

コメントを投稿