ウクライナで政変が起きて、その余波でクリミアがロシアに編入されるなど混乱が続いている。ウクライナ在住のロシア語SF作家はかなり多く、有力な作家も輩出している。すぐに名前が浮かぶ作家でも、マリナ&セルゲイ・ジャチェンコ、ヤナ・ドゥビニャンスカヤ、イリヤ・ノヴァク、ウラジーミル・アレーネフ、評論家のミハイル・ナザレンコ、編集者のイラクリイ・ワフタンギシヴィリ(キエフ)、ゲンリ・ライオン・オルジ(ドミートリイ・グロモフとオレグ・ラディジェンスキイの共作のペンネーム)、アンドレイ・ワレンチノフ、アンドレイ・ダシコフ、フョードル・チェシコ、アレクセイ・ベスソノフ、ウラジーミル・スヴェルジン、アレクサンドル・ゾリチ(ハリコフ)、ヴィタリイ・ザビルコ、グレーブ・グサーコフ(ヤロスラフ・ヴェロフの筆名で執筆)(ドネツク)、ユリヤ・オスタペンコ(リヴォフ)などがいる。こうした作家が、今後、混乱が続くウクライナでロシア語作家としてどういう姿勢で書くのか非常に気がかりである。ソ連崩壊後にウクライナの公用語はウクライナ語になったとは言え、その後もロシア語で書く作家が続々と輩出してきた地域である。ウクライナがロシア語文化圏にとどまるには、今回の政変後の混乱はあまりにも大きな傷となったと思わざるをえない。今回はウクライナのSF事情を少し歴史的に振り返ってみたい。
ソ連時代は、それぞれの民族語での創作がそれなりに奨励されたという側面もあり、ウクライナでもウクライナ語で創作する作家がいた。有名なのはオレシ・ベルドニク(1926~2003)で、1971年に発表された長編«Зоряний Корсар»はフランス語に翻訳されるなど、ウクライナを代表するSF作家と目された時期もあった。ミコラ・ルデンコ(1920~2004)は60年代半ばにデビューし、70年代前半までSF作家として作品を発表した。しかし、このふたりはソ連に1975年のヘルシンキ宣言の遵守を求める人たちによって作られた人権擁護団体のウクライナヘルシンキグループの活動に関わり、政治的活動を強めていく。ソ連当局からはウクライナ民族主義として非難され、ルデンコは逮捕され、のちに亡命を余儀なくされた。ルデンコのことは深見弾さんもSFマガジンで記事にしている。
こうした事情と関係しているのかどうかわからないが、ロシアのSF界のベルドニクやルデンコに対する反応は冷淡で、ガーコフ編のSF人名事典«Энциклопедия
фантастики»のふたりの項目には、彼らの作品自体が、1970年代から80年代にかけてソ連のSF出版界を牛耳ったモロダヤ・グヴァルジヤ社の派閥の民族主義的、反科学的傾向に共鳴していると非難されている(項の著者はペルミのSFファンであるアレクサンドル・ルカーシン)。ベルドニクに至っては、ロシア革命前の神秘主義的傾向の強い女性SF作家、ヴェーラ・クルィジャノフスカヤの名前が引き合いに出されて批判されている。ルカーシンはストルガツキイ兄弟やブルィチョフの作品を愛するファンとして、彼らを抑圧したモロダヤ・グヴァルジヤ派の行動は許せるものではなかった。SF出版に関わっているくせに、ストルガツキイ兄弟らの作品は出版せず、愚にもつかない、むしろ反科学的なオカルト的作品を出版して出版社を私物化しているではないかというのが、モロダヤ・グヴァルジヤ派への非難の含意であった。したがって、ルカーシンの表現は、SFファンとしては最大級の非難である。しかし、ベルドニクやルデンコは直接にモロダヤ・グヴァルジヤ派とは関係がないわけで、あくまでも作品の内容のこととは言え、こうした批判の方法はまさしく党派的な表現と言わざるをえない。
一方で、ソ連時代からロシア語で執筆する作家もウクライナには存在した。ソ連時代には、キエフは出版規模ではモスクワに次ぐ第2位の地位を占めており、重要な都市であった。キエフには60年代を代表する本格的なSFの作家であったウラジーミル・サフチェンコが健在で、70年代からはボリス・シテルンがボリス・ストルガツキイのセミナーに参加するなどして腕を磨き始めた。クリミアのシンフェローポリは、スヴェトラーナ・ヤグポワが80年代にセミナーを開催してダニエリ・クルーゲルが参加し、1988年にはレオニード・パナセンコが出版社«Таврид»の編集部に入るなど、ロシア語SFの拠点のひとつとなっていた。また、80年代末に、セヴァストーポリではアンドレイ・チェルトコフとセルゲイ・ベレジノイが旺盛なSFファン活動を開始した。ウクライナ南部のニコラエフでも後に作家となるウラジーミル・ワシリエフが80年代末からファン活動を始めていた。
80年代末から90年代初頭にかけてのウクライナは、ヴィタリイ・ピシチェンコが主導した全ソ新進SF作家創作協会«ВТО МПФ»の影響も大きく、協会が刊行したオリジナル・アンソロジー«Румба фантастики»シリーズには、リュドミラ・コジネツやレフ・ヴェルシニンといった当時の新進作家の力作が収められた。コジネツは、80年代のロシアSF界にはまだ珍しかったファンタジーを書く貴重な存在であった。
一方で、1990年には、全く小説家としての経験がないリヴォフ在住のウラジーミル・クジメンコの長編«Древо жизни»がソ連の全国的な書評紙である«Книжное обозрение»に連載されるなど、80年代末から90年代初頭にかけてのウクライナのSF界では、雑多な流派が活発に動き始めていた。
ところが、ソ連崩壊により、全ソ新進SF作家創作協会の活動は停止し、クリミアのSF界も停滞した。この中で、まったく新しく台頭したのが、オルジらハリコフ在住の作家の活動である。1990年代前半に欧米のファンタジーの翻訳に携わっていたオルジは、1991年から«Второй блин»という作家や編集者、翻訳家、イラストレーターなどを集めた出版関係の企画会社を設立して人脈を築いた。オルジ自身は90年代半ばからヒロイックファンタジーの長編を量産し始め、同郷のワレンチノフ、ダシコフらとともにSF出版界に進出した。90年代後半のロシアSF界は、翻訳に席捲されていた市場がロシア語作品に回帰する時期であり、長編を量産できる作家が求められていた。オルジのほか、ワレンチノフ、ジャチェンコ、スヴェルジン、ベスソノフらウクライナ出身の多くの作家がこの潮流に呼応し、出版社の期待に応える働きぶりを見せた。ロシアのファンタジー長編の基礎を作った作家は、マリヤ・セミョーノワ、ニーク・ペルモフ、エレナ・ハエツカヤ、ミハイル・ウスペンスキイ、スヴャトスラフ・ロギノフであり、歴史改変小説の基礎を作ったのはヴャチェスラフ・ルィバコフ、ワシーリイ・ズヴャギンツェフ、アンドレイ・ラザルチュークであるが、シリーズもののファンタジーや歴史改変の類型に肉付けしたのがオルジらウクライナのロシア語作家であったと言える。また、オルジの初期作品にはロジャー・ゼラズニイの影響が濃厚であるとの指摘も見過ごせない。ゼラズニイは90年代初頭に翻訳された英米SF作家ではもっとも受容された作家であった。リガのポラリス社が1995年から97年にかけて刊行した叢書「ロジャー・ゼラズニイの世界」は全29巻にも及んだ。
1999年からはハリコフでSFコンヴェンション「ズヴョズヌイ・モスト」が毎年、開催されるようになり、ロシア語SF界でのウクライナ在住の作家やファンの地位が相当なものに上ることを示した。2004年からはキエフで「ポルタル」、2008年からはクリミアで「ソズヴェズディエ・アユ=ダグ」というSFコンヴェンションも開催されるようになった。2006年と2013年にはユーロコンがキエフで開催されるなど、国際的なSF界での地位も向上している。
ウクライナのロシア語SF作家の比重はロシアSF界においても大きな位置を占めている。オルジとジャチェンコは現代ロシアSFにとって欠かせない作家であるし、2000年以降も、ゾリチやドゥビニャンスカヤ、オスタペンコ、ヴェロフといった様々な傾向の作家が登場している。商業的には成功を得られなかったが、2003年から09年まで、キエフではSF専門誌「レアリノスチ・ファンタスチキ」が刊行され、グルジア出身のワフタンギシヴィリが編集長を務めた。一様ではないが緩やかに関係を持ちながら展開してきたウクライナのSF界が今後どのような道を進むことになるのか。ポルタルはこれまでウクライナ語のSF的作品にも賞を贈ってきた。2010年にはウクライナのSFファンの全国組織であるВсеукраинское общество любителей фантастики(ВОЛФ)も設立され、ウクライナ語で執筆するウラジーミル・エシキレフも参加している。エシキレフの作品はロシア語にも翻訳されて出版されているが、こうした流れが今後どうなるのか注目しておきたい。
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