2014年7月6日日曜日

ザミャーチンのウェルズ論をめぐる論争

 先日に注文した «Эсхатология и утопия»(『終末論とユートピア』)という本と«Русская утопия в контексте мировой культуры»(『世界文化の文脈の中のロシア・ユートピア』)という論文集が届いた。著者と論文集の編者はヴャチェスラフ・シェスタコフという、1935年生まれの、ソ連時代から著名なユートピア研究者である。
 論文集には、スターリン時代の文化研究で知られるドイツのハンス・ギュンターや現代ロシアのアンチ・ユートピア小説の分析で知られるボリス・ラーニンの論文もある。シェスタコフ自身は「イギリスのユートピア的伝統の文脈におけるロシア・ユートピア」というタイトルの50ページ以上になるやや長い論文を執筆している。
 『終末論とユートピア』の方は、「キテージ伝説における終末論的モチーフ」、「ロシアの文学ユートピア:その未来像」、「ロシアにおける愛の哲学」といった章のほか、コンスタンチン・レオンチエフ、ニコライ・ベルジャーエフ、アレクセイ・ローセフといった思想家、象徴主義の画家であったミハイル・ネステロフの創作における宗教哲学的モチーフ、唯美主義のユートピアとしてのディアギレフの雑誌『芸術世界』を扱った章があり、テーマは多岐にわたっている。
 「ロシアの文学的ユートピア」の章では、チェルヌィシェフスキイの『何をなすべきか』やドストエフスキイの短編「おかしな男の夢」、ボグダーノフの『赤い星』など、ロシア文学に現れたユートピア思想を概観し、『われら』の作者であるザミャーチンをユートピア文学の一つの達成点とみている。
 シェスタコフの主張は、ザミャーチンが執筆した「ハーバート・ウェルズ」(1922)という評論によって補強される。シェスタコフは、ザミャーチンが欧米のユートピア文学だけではなく、ロシアのユートピア文学にも触れたという点で、ザミャーチンのウェルズ論の最後の文章をそのまま長く引用している。ザミャーチンは、クプリーンの「液体太陽」やボグダーノフの『赤い星』のほか、オドエフスキイやセンコフスキイといった19世紀前半の作家名をロシアのファンタスチカの先駆的作品としてあげ、自分の同時代人であるエレンブルグの『フリオ・フレニトの遍歴』と『トラストDE』、アレクセイ・トルストイ『アエリータ』の名を紹介している。ちなみに、ザミャーチンはこの評論の中で、自作の『われら』についても作品名を公表している。よほどの自信作であったに違いない。『われら』はソ連ではペレストロイカ期まで出版されなかった作品であるが、作品自体は1920年代には文学者内では有名で、ロシア・フォルマリズムの代表的人物である評論家ユーリイ・トゥイニャーノフの文芸時評«Литературное сегодня»(1924)では、20年代のロシアSFの成功例として『われら』が取り上げられている。
革命後のザミャーチンは、ゴーリキイの推薦により『世界文学』という出版社でイギリスとアメリカの文学を紹介する仕事に従事しており、ウェルズの作品選集を編集し、その序文を多数執筆している。ウェルズの初期の『タイム・マシン』や『モロー博士の島』といった古典的SF小説だけではなく、ユートピア小説である『解放された世界』や、『トーノ・バンゲイ』といったリアリズムの小説まで幅広く目を通し、俗物に対する皮肉な筆致と作家自身の持つ夢想性という、ウェルズの作家性を非常によく理解して執筆している。ザミャーチンの評論はウェルズ論としても非常に貴重な文献であるのだが、それだけではない。トマス・モアやカンパネッラ、カベーらの古典的な静的なユートピア小説から、ダイナミックなファンタスチカへと様式が変化するにあたって、決定的な役割を果たしたのがウェルズであると指摘するのである。欧米文学の歴史的系譜を踏まえたうえで、ユートピア文学の変容を論じた評論であり、ザミャーチンが1920年代当時のロシアの作家の中では、イギリスやアメリカのSF文学に対して抜群の理解を示す当代きっての欧米文学通であったことを証明するものである。
 ところが、ザミャーチンのユートピア論に反旗を翻した人物がいた。それはウラジーミル・スヴャトロフスキイという人物で、彼が執筆した『ロシアのユートピア小説』(1922)という評論は、実はザミャーチンのウェルズ論への反論である。つまり、ザミャーチンがロシアのユートピア小説の伝統にあまり触れずに、ユートピア小説からファンタスチカへの移行を論じたのに対し、スヴャトロフスキイは19世紀以来のロシア文学におけるユートピア小説の伝統と空想的社会主義のユートピア論の系譜に言及し、ザミャーチンの論述が不十分であると批判する。細かいことだが、この批判は本文中ではなくて注の中でされている。
 要は、シェスタコフがザミャーチンのロシア文学の伝統への理解として引用した箇所を、ザミャーチンの同時代人であるスヴャトロフスキイはロシア文学への伝統の理解としては不十分であると批判していたのである。
 スヴャトロフスキイはオドエフスキイとセンコフスキイ以外に、シチェルバトフや空想的社会主義におけるユートピア的伝統などをあげ、ロシア文学における豊かなユートピア的伝統を提示する。それは、シェスタコフが示したような、終末論的傾向を帯びたロシアの思想家たちの想像力とは異なっている。西欧ではなくてロシアの伝統を提示するという方向性において、スヴャトロフスキイとザミャーチンの立場の違いは明瞭であり、同時代のコンテクストに戻せば、ザミャーチンはロシアのユートピア小説の流れにいたというよりも、西欧の文学への窓口にいた人物として評価すべきであろう。シェスタコフは欧米文学の幅広い伝統を踏まえたうえで、ロシアのユートピア文学の位置付けに取り組んだ研究者であるが、彼のこの論文におけるザミャーチンの評価に関しては私は違和感を持っている。
ザミャーチンとスヴャトロフスキイのエピソードはささいなものにすぎない。しかし、その後のロシアSFの研究史を振り返ると、ユートピア研究とSF研究は、本来は領域が重なる部分が多いはずなのに、どこか疎遠に、めいめいに互いに干渉せずに進んできたという感を禁じえない。1970年代にはアナトーリイ・ブリチコフ(主著は«Русский советский научно-фантастический роман»)という偉大なロシアSF研究者が登場したが、ユートピア研究との接点は薄かった。そうしたSF研究とユートピア研究の分岐点が、ザミャーチンとスヴャトロフスキイの対立に端を発していると言えば、あまりにもうがちすぎであろうか。ともあれ、SFをユートピア小説から転進したものと見たザミャーチンと、SFをユートピア的伝統に位置付けていたスヴャトロフスキイの観点の違いは明瞭である。

ちなみに、スヴャトロフスキイのこの著作は早稲田大学に所蔵されている。スヴャトロフスキイは『ユートピアのカタログ』(1923)という書誌も編集しており、これは東大が所蔵しているのだが、筆者は未見である。一度、ぜひ見てみたいものである。

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