先日、スラブユーラシアセンターから公刊された『ロシアSFの歴史と展望』に収められた諸論文は2005年12月に開催されたシンポジウム「ロシア・スラブSF幻想文学の世界地図」に基づいたものです。
私が執筆したボリス・ストルガツキイのセミナーについての論文と、たいへん拙いものですが、現代ロシアSF人名事典を収録していただきました。参考になれば幸いです。
巻頭に収録された久野康彦「SFという観点から見たВ.Ф.オドエフスキーのユートピア小説」は、分析の枠組みが整理されていてたいへん啓発的でしたが、少し補足したいと思います。本論文はダルコ・スーヴィンの『SFの変容』に依拠し、SFとユートピア小説を区分しながら、オドエフスキーの未完の作品「4338年」(邦訳は『ロシア・ソビエトSF傑作集』(創元SF文庫)に収録)のSF性を論じたものですが、論文の結びで、20世紀初頭の象徴主義の文学者ワレリー・ブリューソフが作品集『地軸』(有名な中編「南十字星共和国」のここに収録)のチェコ語版のために書いた序文を紹介しています。その序文で、ブリューソフは、この作品集に収められた作品は「現実と夢、ファンタジーと現実の関係に関する永遠の問題をポエジーという手段を借りて説明しようとする」ものだと述べ、この謎にロシアの作家でアプローチしたのは、19世紀後半の詩人チュッチェフとオドエフスキーだと書いています。
それに続けて、久野さんは、「もしかすると、オドエフスキーのユートピア小説がブリューソフのそのようなSF的作品の創作に与えた影響があるのかもしれない」とし、「表面には現れないものの、オドエフスキーのユートピア小説が、20世紀のロシアのSFの創作に何らかの影響を与えたという可能性も皆無だったとは言い切れない」と書いています。
私は、ブリューソフへのオドエフスキーの影響には詳しくありませんが、以前にこのブログの記事(http://rufantastika.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html)で取り上げたように、ザミャーチンがロシアSFの伝統に触れない形でウェルズ論を展開したことに対し、ウラジーミル・スヴャトロフスキーという人物が『ロシアのユートピア小説』(1922)という評論を執筆し、オドエフスキーやセンコフスキーの名をあげてロシアユートピア文学の伝統を強調しています。ザミャーチンはウェルズやベラミーなどの欧米の潮流にも通暁し、当代一流のSF眼を持っていた作家ですが、彼に対してすぐに反論できるくらいの研究の蓄積は1920年代にはあったということです。
ただし、問題は、ブリューソフも一翼を担った20世紀初頭のロシア文学の「銀の時代」の諸作品の幻想性が、SFとどのように関連付けられるのかという点です。ストルガツキイ兄弟の作品を論じたイヴォン・ハウエルの «Apocalyptic
Realism: The Science Fiction of Arkady and Boris Strugatsky»は、『滅びの都』などストルガツキイの後期作品の黙示録的イメージなどを取り上げた非常に示唆に富む研究ですが、結論部で、ストルガツキイ兄弟は「銀の時代」の後継者であるという記述が出てきます。しかし、同書はストルガツキイ兄弟と「銀の時代」のベールイやブリューソフらの作品を比較したものではなく、唐突な指摘との印象を免れません。「銀の時代」と後の時代のSF的作品との関係はもっと緻密な研究が必要とされるところです。
ブリューソフはゴーゴリを「ファンタスト」と呼びました。ベールイにも大部のゴーゴリ論があります。かつてベリンスキーらによって自然主義作家として高く評価されたゴーゴリは、「銀の時代」に幻想文学的視点から見直しが進みました。したがって、ゴーゴリをファンタスチカの祖としてとらえるボリス・ストルガツキイの言い分には伝統があるのですが、ゴーゴリから「銀の時代」、ブルガーコフというラインと、オドエフスキーからのSF的伝統、そこにザミャーチンも含めると、ロシアのSFの歴史は非常に入り組んでいて、一言では言い尽くせないものがあります。こういう研究に本格的に取り組もうとすると間違いなく人生が終わってしまうと感じます。
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